タイトル未定
 
基本精神論的な空想メモ
 



2012年7月を表示

いじめ対策

この意見は、ただの一意見なので
真に受けすぎてもいけないと思います

最近、ニュースはいじめ問題に躍起になっている。
先生の対応が悪いとか
色々いじめられたら相談するように
相談所を強化したり
対策を考えている。

そして、いじめという行為は
酷いことだ。悪いことだ。と教える。
果たして、それだけでいいのだろうか

大人の社会にだっていじめはある。
子供より表に出てこない。
でも、いっぱい死んだりしてると思う

どうしても、「いじめたい」という心は生まれてしまうらしい

いじめは悪い。
けれど、どうしてもその気持ちを抑えることが出来ない


そんな彼らも、まともな思考を持てなくなった可哀そうな人たちなのではないだろうか。

けれど、いじめは悪いと教えなくっちゃいけない。

昔、伝説の教師というドラマがあった。
ダウンタウンの松本人志が主人公の学園ドラマであった

松ちゃんは破天荒な教師役で、普通の先生がやらないことをどんどんやって
生徒たちが改心していくという話であった

その中に、衝撃的な話がある。

いじめ当番制だ

いじめがクラスの問題だった

そこで、松ちゃんが行ったのがいじめ当番制だった

くじで一日いじめられる人間を決めて

その人以外が全員でいじめる

というものであった。



いじめる側の気持ちも
いじめられる側の気持ちも理解する。

現実にそんな当番制が出来たら
異常かもしれない

だけど、そのくらいしないと無くならない気がする。


さて、いじめた側に聴くと
たいがい

「いじめだと思っていなかった」
「じゃれてただけ」

なんて当人は対して気にも留めていないとか
よくある話

きっと、心の中には
いじめがどうして悪いことなのか
自分がしたことは別にいじめじゃないだろ
とか
思っているんだろうな

身をもって味あわせるのが一番な気もしますが


いじめはいじめを呼ぶだけなので

俺としては

いじめたくなる心理というのを
分析したらいいんじゃないかと思います

破壊衝動、ストレス発散、上手くいかない時の苛立ち。ぶつけようのない怒りはどうしても
生まれてしまいます
それを、理解する必要があると思います。

妬み、嫉み、劣等感、敗北感

負の感情は、どうしたって生まれる。

自分で悩んで、鬱になったりする人も可哀そうですが

それを攻撃的に表に出す人たちも

治さなければならないのではないかと思います。



7月17日(火)07:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 未分類 | 管理

SFとファンタジー

SFって近未来とか未来の話で
なんか変な道具とかが出てきたり
ロボットが出てきたりする感じ
でいいのかな

ファンタジーは、まず現実世界とは異なる世界が舞台で
モンスターとか魔法とか小人や妖精が出てくるのがファンタジーなのかな

では、現代が舞台で超能力とか、特殊能力者が出てくる
学園バトルとかは何に分類されるんだろう

ジョジョはなんだろうファンタジーなのかww
ジャンプとか
たいがいファンタジーになってしまうけどww

ドラえもんやアトムはSF
ワンピースやナルト、ブリーチはファンタジー

じゃあジョジョは?

たいがいマンガだと都合よい能力を主人公や仲間が持っているからなー

たいがいファンタジーかなw


恋愛ものは違うかww



7月7日(土)22:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 未分類 | 管理

爆笑問題の日本原論

古本屋でそんな本を見つけたので買ってみた
大分古い。発効日は1999年
しかも、中身は1994年から1996年頃の政治や国際ニュースなどの時事ネタ
爆笑問題はずっと、時事ネタでやってきているから
これで、近代史の勉強をするのもいいかもしれない

つか、小学生の頃のニュースとか全く覚えてないわw

この本の冒頭に、漫才をしたあとに
事実と異なることが書いてあり申し訳ありませんと言われたと書いてあった
そのあとには、漫才だからバカなことを言うしかない
でも、それ以上に社会がバカなことをしたら
よりバカなことを言うしかない
とも書いてあった


今、振り返ってもバカな事件というか
頭がおかしい事件がどんどん増えていっているような気がする

それとともに社会不安は高まるし
さらには世界中も経済パニック起こるし

地震も起こるし、ゲリラ豪雨なんて毎年起こるようになった
地球もおかしくなってるぶん、社会もおかしくなったんかねーー


爆笑問題はずっとその社会を眺めて
斜めに見るというスタンスを取り続けているのがとても
カッコいいです

国民として目をそむけてはいけないことに
まっこうから立ち向かっている感じがしてて
カッコいいです

俺も政治とか事件とかニュースに敏感になりたいものです

俺には関係ないという話でも無くて
自分の周りで起こったら怖いでも無くて
こういうことは何故起こるのか
原因を追究したり
起こった時の対応策を考えることが重要だと思った。



7月7日(土)17:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 趣味の話 | 管理

破裂

きっともう押さえつけることが出来ないんだ。
堅牢な理性と他者の目から抑制されてきた。
俺の本能は限りなく押さえつけられていた。

自分でも思っていた。
やりたいことをしていないと思っていた。
今直面していることからの逃げかもしれない。
しかし、逃げたい気持ちは今は無くなった。
ただ無常な現実が待ち受けているとは知っている。

このまま進めば、いわば負け組と呼ばれる人生が待っているのかもしれない。
なりたかったものにはなれず、漠然となれそうなものになっていくのかもしれない。

本当にそうなのか。

と考える。
なりたかったものは、なんなんだ。

例えば、歌を歌って、歌を書いて、歌を練習して、曲を作って、ステージに立って、CD作ってPV作って、告知して、グッズを作って、という色んなことをするのが歌手だったりする。ただ、歌っているだけではない。

たぶん、形骸的なイメージに囚われて、本当にする事が
分かってなくて
実際やってみたら、向いてなかったとか

彼と一緒だったのかな
俺は。

学校を辞めて、バンドをするために上京していった人がいた
今は、警備員の仕事で食いつないでいるらしい

その後、どうなるかはまだわからない
けれど、普通の道を外れたのは確かだった

羨ましいような
コワいような
不安な気持ちになった

けれど、彼はきっと充実しているのだろう
本当に心から望んだ道に進み始めているのだから


俺自身はどうなんだろうか
実際この道に入ってみて、向いてないって思ったかもしれない
堅実さを求めていたけれど
敗れたような気持ちになっていたじゃないか

だからといって、これで死ぬわけじゃないし
まだ、生きなくてはいけないんだけど

これまで、けっこう我慢してきたと思うんだ
自分に自由に生きている人がとても羨ましかった
けれど、認められないだろう
とか、危険な奴だと思われたりするのが
とても怖かったのだ

怖がりで、拒絶されるのが怖くて
自分を隠し続けていた

嫌いなものを嫌いと言えなかったり
やりたいことをやりたいと思えなかった

地域柄なんだろうか
自分にもそういう気持ちがあった。

そういうときほど、東京への憧れが強くなるような気がする
あそこは、ある意味で寛容的であるような気がする

きっと、破たんすると思っていた道に進んだ
やっぱり破たんした

このままいくとお天道様に顔向け出来ないような道に進むのかもしれない
けれど、健全でいたいとも思う

俺は、きっと一番辛い道を自ずから選ぶ
人間なんだろう

誰が望まなくても、自分が望まなくても
きっと一番辛い選択をする人間だ

この世の不幸をもっともって来てって感じだな

理性を破壊しようか。。。



7月5日(木)21:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 未分類 | 管理

モノの見方

たまにモノの見方が分からなくなる。
捉え方に困る
このモノに対してどういう風に思ったらいいのかわからない
モラルとは何か
分からなくなる
酒はおいしいものとみるのか、
それとも飲みすぎて健康に害を及ぼすものなのか、
飲酒運転をさせて事故を起こすから危ないものとみるのか、
酔っ払って隣の人に気を許して恋に発展させるキューピッドとみるのか

ただのコメを麹菌で発酵させて出来た液体とみるのか、
酒造が心をこめて作った飲み物とみるのか
むりやり人に飲ませてアルコール中毒にさせるものとみるのか

酔っ払うことで自分を解放させるものとみるのか

よくわからない

酒だけで、こんなに見方があるのだけど
自分にはどれがあてはまるのかな
と思っても色々当てはまるから
よくわかんないや

色々な面を知っていた方が、いいことのように思えるよ。



7月4日(水)16:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 未分類 | 管理

なんとなく

「なんとなく」というのは、本能の囁きではないかと私は思う。
なんとなく嫌な雰囲気を感じたり、なんとなく楽しそうな気がしたり、なんとなくやりたいと思ったり、なんとなく出来そうな気がしたり
「なんとなく」というと考えて無さそうに思われるが、実は違う気がする。

「なんとなく」の反対は、コレだと決めて行動することだと思う。コレだと決めるには、理性を働かせ、様々な条件を調べ、その複合的なバランスを見て、最善と思われることを選択し、自分も周りも納得させる必要がある。とても論理的な思考だ。
コレだと決める際には、必ず未来を考える。この選択をしたら、このような結果になり、こんな利益を自分に与える。とか、計算的になれる。
けれども、そのプランに賛成できるかと言われたら、いかにも一番論理的で理想的であるにも関わらず
まったく賛成できないこともあると思う。

実はここに、なんとなくが登場している。
とても、よさそうに見えるのに何か反論できる意見はないのだけれど、賛成できないということは
自分の中の価値観が違うと言っているということだ。
過去の経験や体験から、価値観は形成されていて、それによって物事の見方が人によって異なる。
論理的に考えると、一般的に良いとされる選択をしたがる。リスク回避を行うためだ。万人が行っている選択なら、間違いないと思うからだ。実に滑稽な計算思考だ。
そこに、自分の価値観が入っていないではないか。
小さい頃から勉強していい大学に入っていい会社に入って安定して暮らす。というレールに違和感を覚える。

それは、初めからかもしれないし、途中になって自分の
力量を見定め始めているからかもしれない。理由としては、自分の限界を感じたとか、楽しくなくなったとか出てくるかもしれない。けれど、最初の理由として「なんとなく」が出てこないだろうか?



なんとなくは、過去の経験を統合したもので
価値観とまでは言えないけれど、経験上嫌なものなど
そういった判断をしてくれるものなんだろう。
そこには刷り込みや情報操作とか他者からの影響も大きく入っているし、生まれつき持っている感覚も入ってくる。理性では、処理できないほど膨大な記憶を体は行っていて、頭では覚えていないけれど、体が覚えているために出てくる、感覚的な主張が「なんとなく」なんだろう。
頭を回転させて考えるよりも早く、体全体が考えていて作り出した答えが「なんとなく」という言葉として出てきたということではないだろうか。
体は喋りださないから、そこは脳みそが頑張って言葉にしてくれたらいいんだけど。
「なんとなく」は、頭で考えたことだけでなく、体が、心が感じたことを一瞬にして昔のデータと照らし合わせて、処理された結果であると思う。


なんとなくという感覚を切り離すか
大事にするかはとても重要なことなのかもしれない。
ある意味、なんとなくは本心なんだと思う。
それを、理性で抑えがちになると、何か嫌な気持ちになったりしないだろうか。
例えば、ぱっと目に入ってきた商品に心惹かれたとする。ある意味、ひとめぼれだが、隣を見るとよく似た商品があり、選択肢が広がり、どれにするか迷う。
値段、質などを比較して、一番良いものを選ぼうとする。そして、最初に買おうと思ったものと全く違うものを買ったとする。
最初は、納得してこれでいいんだと思うのだが、後になればなるほど、どうして最初のにしなかったのだろうかと思うことが無いだろうか。
これは、本能と理性のミスマッチによるものだと思う。
本心とは違う選択を行うということは、内心納得していないということになる。
いかに、その選択が他者からみれば正しくても、自分からしたら嫌いで間違っていると思いがちである。
まー他の人にいいんじゃないって肯定されて、その感覚がひっくり変えることはよくあるだろうけどww
でも、それも自分の感覚を封じる理由の一つかもしれないな。

でも、なんとなく過ごしてしまうという時は、もったいないと思うので
そこは、なんとなくやりたいことを見つけるのがいいと思うな。

違和感、第6感、なんとなく、感じる、これまでの考え方の形成。



7月4日(水)16:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 語ってみよう | 管理

人生設計

ベーシックプランは
大学行って、就職して、結婚して、子供作って、子供育てて、マイホームを買い、車も買い、仕事も出世しなくても安定してて、子供を社会に送り出し、定年を迎えて、夫婦で老後を倹しく過ごし、孫を見て、あの世からのお迎えを待つ。
これは、20年くらい前のモデルかもしれない。

今は、大学に行っても就職難で働けず、就職しても不景気で給料も上がらないわりにサービス残業が多くて心を病むこともある。そうすると、結婚も難しい。相手もいない。結婚しても、子供を育てる費用はとても高い。子供にはやはり不自由なく暮らさせたい。教育費もたくさんかかる。そうしたら、家を買うどころの話では無い。妻にも働いてもらわないと家計が回らないだろう。そうして、やっと40代になったころ、今度は会社が倒産。もしくは、リストラの対象に。あれ、これからどうやって過ごそう。次の仕事も見つからない。そこそこ、出世して、それなりに50代を迎えたけれど、今度は早期退職候補。上手く定年を迎えたけれど、年金はまだ出ないし、少ないから給料は減るけど、まだ会社に残らせてもらおう。ああ、いつまでたっても老後はこないし、老後の蓄えもあまり作れなかった。豊かな老後生活はどこに行ったんだ。これまでの苦労はなんだったんだろう。
とかが、一般的かな。どうかな。

実際にそうなってはないけれど、今の人たちはこんな思考に陥りやすいんじゃないかと思う。それほどに、社会不安は高まっていると思う。すると、子供は生まれなくなる。すると、もっと高齢化が進んでしまって、本当に年金なんて雀の涙ほどになるだろう。
こうなりたくないがために、たくさん働こうと無理をしてみても、きっと体を壊すか、家庭が崩壊するだけだろう。お金はあるけれど、幸せな家庭は無くなった。
そこらじゅうに老人が溢れて、子供をとんと見掛けなくなる。
そんな未来は嫌だな。
と思うのだけれど、どうしたら、幸せな人生設計が出来るだろうか。
現代なりの人生設計にはこうした社会不安によるリスクを盛り込んだ設計図が必要である。
そうすると、保険が売れそうだ。それから、証券などの金融商品で資産運用して増やそうとするだろう。金で金を増やす思考になるのかもしれない。
または、副業でオークションをしたり、ネットショップを開いたり、アフィリエイトなどもいいかもしれない。

ただ、現代の若者はすでに最低限の生活必需品は持っているし、パソコン、デジカメ、テレビ、携帯などの少し高価な家電製品たちも持っている。めちゃくちゃすごいスペックを求めなくてもいいくらいのものがすでに溢れているのだ。それに、街では、本屋をぶらついて、カフェでお茶して、ぶらぶらするくらいで楽しめる。家でも、ネットにつないで、気になる音楽をユーチューブで見たり、ニコニコ動画を見るのもいい。逆に、動画を投稿したり、絵を書いてピクシブに投稿したらいいし、インターネットラジオで好きなこと話してもいい。家でも世界とつながれるし、誰かの反応を見たりすることも出来る。このように、お金をそんなに使わなくても、時間を過ごせるようになったのだ。だから、消費しなくても、生活に不満を抱かなくなってきていると思う。
未来が暗いからこその行動ではあるが、これがさらに未来を暗くするのに拍車をかけるのだったら、とても悲しい。
どうしても、守りの姿勢になりがちなのだが、攻めるほどの気力も無いのが現状。精一杯生きているんだよ。きっと。

世界はあまりにも急速に変わってしまった。だから、世代間のギャップはあまりにも大きい。昨日の常識は、今日の非常識かもしれない。小さな変化が大きな変化を作るのならば、少しづつ心がけることが必要なんだろうな。

新しい人生設計を考えよう。



7月3日(火)01:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 未分類 | 管理

仕事観

精神的な満足のために職に就いているような気もする
新しい製品を開発し、世に浸透させる。そして、誰もが気づかないうちに自分が作ったものを使っている。ある意味支配欲である。製品が社会を支配しているなんてね
自分が作った料理を食べてくれた人が、美味しいと言ってくれるのが嬉しい
感謝を得たいために、自分は料理を作る。これも、幸福を対価にしていると思う。
誰かを幸せにするために・・・をする。
他者にしてあげたことは自分を幸せな気持ちにしているとも考えられる。
私の演劇、歌、漫才で誰かを感動させたい。
これも、精神的幸福を得ようとしている。
そうか、他人からの感謝が一番の幸福の元なんだろうな
誰かが嫌な気持ちになるものは、自分も嫌なものだ。誰かを悲しませるのは、自分も悲しい。
けれども、どうしようもなく貧困に陥っている人もいて、他人のことなんて考えられなくて、自分も苦しい時がある。そういう人ほど、誰かに感謝されることをしたらいい。
他者に認められることは、これほどまでに大事なことだとは私は思っていなかった。
一日一善は自分を幸福にする魔法だったのだ。

物質と精神の結びつきは
きっとそうなんだろうな。

お金を得て、生活を豊かにして
そのあと、どうしていくか
仕事自体が楽しくて心が豊かなら
実は最低限のお金さえあればいいような気がする。



7月2日(月)18:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 未分類 | 管理

目的の無い満足感

国語で作文がとても苦手であったから、理系に逃げてみたけど
結局、英語と報告書に追われる日々である。
バランスはとても大事だったのに、得意分野に専念しすぎた。
けれども、語る言葉を持たないので、知っているけれど
表に表せないという悲しい状態である。
断絶されているのだ。

やはり、モノマネが一番いいのかもしれない。私は、実は真似が得意だったのだ。
書道、美術しかりマネをすることが出来た。数学しかり、数式と解き方のマネで解けた。
スポーツも誰か上手い人を見習った。そうして、技術を学んできたと思う。

幼いころはそれでよかったのだが、そうしていくと
自ら新しい発想をすることに関しては、そうとう落ちぶれていた。
想像力がとても乏しい。だから、物語なんて書けないし、新しい実験事実に関して考察も出来ない。
描写力が乏しく、会話能力に劣る。そんな人間である。

よくよく考えてみれば、なんでも興味を持って始めるものの
その少し出来るようになった
その先が何も無かったのだ
出来ることで満足していたのであった

書道は、プロである。私は習字である。字を習っていたに過ぎない。書道は、芸術の一つである。つまり、美術作品として創作されるのだ。ただ、無心に字を真似ているのとは異なり、自らがその字に思いを込めて、その情状を白紙の紙にぶつけるのだ。つまり、自己表現の何物でもない。

それは、勉学にも言える。知っているだけで満足しているのでは、その先何も作り出すことは出来ない。何のために勉強しているのかである。知識欲を満たしたいだけならば、延々とウィキペディアを見ていればよい。机上の空論とはよく言われたものだ。
そのような、現実味を帯びない知識に関して、憤りを感じていたのは自分自身であったと思う。けれど、自分自身、その先を決めかねたまま時間を過ごしてしまった。
そう、目的が無いのだ。勉強はその目的を達成するための手段でしかないのだが、肝心の目的が無い。これこそ、夢が無いという状態なんだと思う。
そして、自分の可能性を生かすことも出来ないまま、宙に漂い続けていくのではないかという不安に襲われるのであった。



7月2日(月)17:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 未分類 | 管理

まき散らす

ある作品について

事細かに描写してある解説サイトは
全く知らないものを知るにはとても役立つ

しかし、超絶ネタバレである

逆に、ふわっと思ったことをぽつぽつと書いて
物語には全く触れないとなると

そんな文章巻き散らかされても
読んでてつまらん

と思うことでしょう

そして、俺は巻き散らかす側なので


残念だな


そう思っただけ。



7月1日(日)03:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日々の事 | 管理


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