タイトル未定
 
基本精神論的な空想メモ
 



2012年7月4日を表示

モノの見方

たまにモノの見方が分からなくなる。
捉え方に困る
このモノに対してどういう風に思ったらいいのかわからない
モラルとは何か
分からなくなる
酒はおいしいものとみるのか、
それとも飲みすぎて健康に害を及ぼすものなのか、
飲酒運転をさせて事故を起こすから危ないものとみるのか、
酔っ払って隣の人に気を許して恋に発展させるキューピッドとみるのか

ただのコメを麹菌で発酵させて出来た液体とみるのか、
酒造が心をこめて作った飲み物とみるのか
むりやり人に飲ませてアルコール中毒にさせるものとみるのか

酔っ払うことで自分を解放させるものとみるのか

よくわからない

酒だけで、こんなに見方があるのだけど
自分にはどれがあてはまるのかな
と思っても色々当てはまるから
よくわかんないや

色々な面を知っていた方が、いいことのように思えるよ。



7月4日(水)16:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 未分類 | 管理

なんとなく

「なんとなく」というのは、本能の囁きではないかと私は思う。
なんとなく嫌な雰囲気を感じたり、なんとなく楽しそうな気がしたり、なんとなくやりたいと思ったり、なんとなく出来そうな気がしたり
「なんとなく」というと考えて無さそうに思われるが、実は違う気がする。

「なんとなく」の反対は、コレだと決めて行動することだと思う。コレだと決めるには、理性を働かせ、様々な条件を調べ、その複合的なバランスを見て、最善と思われることを選択し、自分も周りも納得させる必要がある。とても論理的な思考だ。
コレだと決める際には、必ず未来を考える。この選択をしたら、このような結果になり、こんな利益を自分に与える。とか、計算的になれる。
けれども、そのプランに賛成できるかと言われたら、いかにも一番論理的で理想的であるにも関わらず
まったく賛成できないこともあると思う。

実はここに、なんとなくが登場している。
とても、よさそうに見えるのに何か反論できる意見はないのだけれど、賛成できないということは
自分の中の価値観が違うと言っているということだ。
過去の経験や体験から、価値観は形成されていて、それによって物事の見方が人によって異なる。
論理的に考えると、一般的に良いとされる選択をしたがる。リスク回避を行うためだ。万人が行っている選択なら、間違いないと思うからだ。実に滑稽な計算思考だ。
そこに、自分の価値観が入っていないではないか。
小さい頃から勉強していい大学に入っていい会社に入って安定して暮らす。というレールに違和感を覚える。

それは、初めからかもしれないし、途中になって自分の
力量を見定め始めているからかもしれない。理由としては、自分の限界を感じたとか、楽しくなくなったとか出てくるかもしれない。けれど、最初の理由として「なんとなく」が出てこないだろうか?



なんとなくは、過去の経験を統合したもので
価値観とまでは言えないけれど、経験上嫌なものなど
そういった判断をしてくれるものなんだろう。
そこには刷り込みや情報操作とか他者からの影響も大きく入っているし、生まれつき持っている感覚も入ってくる。理性では、処理できないほど膨大な記憶を体は行っていて、頭では覚えていないけれど、体が覚えているために出てくる、感覚的な主張が「なんとなく」なんだろう。
頭を回転させて考えるよりも早く、体全体が考えていて作り出した答えが「なんとなく」という言葉として出てきたということではないだろうか。
体は喋りださないから、そこは脳みそが頑張って言葉にしてくれたらいいんだけど。
「なんとなく」は、頭で考えたことだけでなく、体が、心が感じたことを一瞬にして昔のデータと照らし合わせて、処理された結果であると思う。


なんとなくという感覚を切り離すか
大事にするかはとても重要なことなのかもしれない。
ある意味、なんとなくは本心なんだと思う。
それを、理性で抑えがちになると、何か嫌な気持ちになったりしないだろうか。
例えば、ぱっと目に入ってきた商品に心惹かれたとする。ある意味、ひとめぼれだが、隣を見るとよく似た商品があり、選択肢が広がり、どれにするか迷う。
値段、質などを比較して、一番良いものを選ぼうとする。そして、最初に買おうと思ったものと全く違うものを買ったとする。
最初は、納得してこれでいいんだと思うのだが、後になればなるほど、どうして最初のにしなかったのだろうかと思うことが無いだろうか。
これは、本能と理性のミスマッチによるものだと思う。
本心とは違う選択を行うということは、内心納得していないということになる。
いかに、その選択が他者からみれば正しくても、自分からしたら嫌いで間違っていると思いがちである。
まー他の人にいいんじゃないって肯定されて、その感覚がひっくり変えることはよくあるだろうけどww
でも、それも自分の感覚を封じる理由の一つかもしれないな。

でも、なんとなく過ごしてしまうという時は、もったいないと思うので
そこは、なんとなくやりたいことを見つけるのがいいと思うな。

違和感、第6感、なんとなく、感じる、これまでの考え方の形成。



7月4日(水)16:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 語ってみよう | 管理


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