タイトル未定
 
基本精神論的な空想メモ
 



2012年9月を表示

記録装置

適切な記録装置はなんだろう。

ノート、手帳、スマホ、タブレット、パソコン。
カメラ、レコーダー

記録したいものはたくさんある
瞬間の出来事、一連の出来事
頭の中に浮かんだ思い。

現実に現れているものは、カメラ、レコーダーで静止画、動画、音声として残る。
時に、自分が感知しないことまで記録される。
自分のこと程見えていないと思う。

また、頭の中に浮かんだもの
アイデア、意見、感想、怒り、悲しみ、喜び、憂い
様々な環境下において浮かぶ感情も時間経過と共に簡単に風化する
だから、文字などの言語として現実に現し書き留める


問題は、いつ書き留めるか。
アイデアだったら忘れないうちに書きたい
思い出なら見返しやすいところに留めたい。

ワタシは、日々生まれては消えていく思考を常に残しておきたいと思う。
それは、自分が忘れっぽいせいもあるし、何かとても大事なことを考えていたのだけれど、何かの拍子に中断されそのまま考えていたことすら忘れている自分に憤りを感じるからだ

そうして自分は色んなことを書くようにした。ノートに書くことが多かった
ページ順に書けば経過時間がわかり易い
ただ、かさ張るしいつかはノートが終わってしまい、前のノートについて感知しなくなることは問題だった。
持ち運びも邪魔である

ノートを忘れたときはもっと酷い。
コピー紙なんかに書き殴るものだからまとまりが一切無くなってしまう

ファイルするならいいけれど、バラバラのまま放置して読み返すことなく捨てる
これほど、虚しいことは無いとすら思った

では、スマホはどうか
紙より記録量は断然多いし、ファイリングも容易だ。日付順にしたり、見出し順にしたり、自由な部分も多い。
スマホの欠点は、電気で動くことだ。電池が切れると、もう記録を取り出すことは出来ない。
更に、衝撃などによって破壊されやすい。
ノートも捨てたり、焼いたりしたら記録は消失するが
スマホは偶発的な事故によって、突然消えることもある。

持ち運びも便利であったりするが、
総合的に面倒である

毎日充電してご機嫌をとって、丁寧に取り扱う。
けれど、寿命はやってきて
その時にはまた、コピー紙のときのようにただ捨てるだけになるかもしれない

スマホの進化系としてクラウドなどのネットワークサービスがある
スマホ一台の中にだけ情報をとどめるのではなく
ネットワーク上に情報を置くことでスマホ端末以外のパソコンなどからも情報を引き出すことが出来る

まー都市部に限るけど
だいたいどこでも出来るという場所の制限が出来てしまうからこれもめちゃくちゃ便利というわけではない

ブログも記憶装置の一種で
形体を階層状に出来るから非常に便利である
整理がしやすいのが特徴

うーん、やはりどういう状態が一番効果的か
どれもこれも一長一短で難しいな

どうまとめたいか
どう記録したいか

そもそも記録すること自体はいくらでも可能なのだが
重要なのは実は
その記録をいかに素早く引きだし思い出すかなのなもしれない

記録したけど
どこに置いたか忘れたら記録が無いのと同じ状態かもしれないな

なんだかんだで一番いいのはネット上かもしれない
端末の寿命に左右されず
ネットサーバーをぶっ壊されても
相互バックアップで半永久的に残るし
最初から管理しやすい作りになっていて
自分で分類しておけば容易に引きだせる

このブログこそが俺の一番の記録装置かもしれません

ただプライベートなことは書けないけれど
鍵付けたらいいかもしれんけど
そこまでしてネット上にプライベートをさらすのは
危険だろうなー

フェイスブックとかSNS系はなんだか
怖いもの知らずというか
でも、遠くの全く知らない人と繋がれる可能性があるのは
素晴らしいだろうね

そうか
人という記録装置もある
共有した情報はきっちり伝わらない残らないかもしれないが何かしら残る

たとえば、昔話とか伝承なんていうのは
その代表例だな

個人的に覚えておきたい情報と
共有化された方がいい情報と
色々あるけど

人が記録装置として大きな働きを見せるのは
共有化すべき重要情報を残すときだろうな

それこそメディアが大大的に伝えて
人に残すのかもしれない

それにしても情報が溢れすぎて
もうどれが大事だかわからないし

世界は分断されてしまった

前にも書いた気がするけれど

全てを把握することは出来なくなっている

それでも、日々記録し
私たちは学習し続けるのだろう。

そうして何十年と記録を引き継ぎ
何百年後の世界に記録を残していくのだろう










9月4日(火)13:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 未分類 | 管理


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