目的の無い満足感 |
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| 国語で作文がとても苦手であったから、理系に逃げてみたけど 結局、英語と報告書に追われる日々である。 バランスはとても大事だったのに、得意分野に専念しすぎた。 けれども、語る言葉を持たないので、知っているけれど 表に表せないという悲しい状態である。 断絶されているのだ。
やはり、モノマネが一番いいのかもしれない。私は、実は真似が得意だったのだ。 書道、美術しかりマネをすることが出来た。数学しかり、数式と解き方のマネで解けた。 スポーツも誰か上手い人を見習った。そうして、技術を学んできたと思う。
幼いころはそれでよかったのだが、そうしていくと 自ら新しい発想をすることに関しては、そうとう落ちぶれていた。 想像力がとても乏しい。だから、物語なんて書けないし、新しい実験事実に関して考察も出来ない。 描写力が乏しく、会話能力に劣る。そんな人間である。
よくよく考えてみれば、なんでも興味を持って始めるものの その少し出来るようになった その先が何も無かったのだ 出来ることで満足していたのであった
書道は、プロである。私は習字である。字を習っていたに過ぎない。書道は、芸術の一つである。つまり、美術作品として創作されるのだ。ただ、無心に字を真似ているのとは異なり、自らがその字に思いを込めて、その情状を白紙の紙にぶつけるのだ。つまり、自己表現の何物でもない。
それは、勉学にも言える。知っているだけで満足しているのでは、その先何も作り出すことは出来ない。何のために勉強しているのかである。知識欲を満たしたいだけならば、延々とウィキペディアを見ていればよい。机上の空論とはよく言われたものだ。 そのような、現実味を帯びない知識に関して、憤りを感じていたのは自分自身であったと思う。けれど、自分自身、その先を決めかねたまま時間を過ごしてしまった。 そう、目的が無いのだ。勉強はその目的を達成するための手段でしかないのだが、肝心の目的が無い。これこそ、夢が無いという状態なんだと思う。 そして、自分の可能性を生かすことも出来ないまま、宙に漂い続けていくのではないかという不安に襲われるのであった。
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7月2日(月)17:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 未分類 | 管理
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