タイトル未定
 
基本精神論的な空想メモ
 


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なんとなく

「なんとなく」というのは、本能の囁きではないかと私は思う。
なんとなく嫌な雰囲気を感じたり、なんとなく楽しそうな気がしたり、なんとなくやりたいと思ったり、なんとなく出来そうな気がしたり
「なんとなく」というと考えて無さそうに思われるが、実は違う気がする。

「なんとなく」の反対は、コレだと決めて行動することだと思う。コレだと決めるには、理性を働かせ、様々な条件を調べ、その複合的なバランスを見て、最善と思われることを選択し、自分も周りも納得させる必要がある。とても論理的な思考だ。
コレだと決める際には、必ず未来を考える。この選択をしたら、このような結果になり、こんな利益を自分に与える。とか、計算的になれる。
けれども、そのプランに賛成できるかと言われたら、いかにも一番論理的で理想的であるにも関わらず
まったく賛成できないこともあると思う。

実はここに、なんとなくが登場している。
とても、よさそうに見えるのに何か反論できる意見はないのだけれど、賛成できないということは
自分の中の価値観が違うと言っているということだ。
過去の経験や体験から、価値観は形成されていて、それによって物事の見方が人によって異なる。
論理的に考えると、一般的に良いとされる選択をしたがる。リスク回避を行うためだ。万人が行っている選択なら、間違いないと思うからだ。実に滑稽な計算思考だ。
そこに、自分の価値観が入っていないではないか。
小さい頃から勉強していい大学に入っていい会社に入って安定して暮らす。というレールに違和感を覚える。

それは、初めからかもしれないし、途中になって自分の
力量を見定め始めているからかもしれない。理由としては、自分の限界を感じたとか、楽しくなくなったとか出てくるかもしれない。けれど、最初の理由として「なんとなく」が出てこないだろうか?



なんとなくは、過去の経験を統合したもので
価値観とまでは言えないけれど、経験上嫌なものなど
そういった判断をしてくれるものなんだろう。
そこには刷り込みや情報操作とか他者からの影響も大きく入っているし、生まれつき持っている感覚も入ってくる。理性では、処理できないほど膨大な記憶を体は行っていて、頭では覚えていないけれど、体が覚えているために出てくる、感覚的な主張が「なんとなく」なんだろう。
頭を回転させて考えるよりも早く、体全体が考えていて作り出した答えが「なんとなく」という言葉として出てきたということではないだろうか。
体は喋りださないから、そこは脳みそが頑張って言葉にしてくれたらいいんだけど。
「なんとなく」は、頭で考えたことだけでなく、体が、心が感じたことを一瞬にして昔のデータと照らし合わせて、処理された結果であると思う。


なんとなくという感覚を切り離すか
大事にするかはとても重要なことなのかもしれない。
ある意味、なんとなくは本心なんだと思う。
それを、理性で抑えがちになると、何か嫌な気持ちになったりしないだろうか。
例えば、ぱっと目に入ってきた商品に心惹かれたとする。ある意味、ひとめぼれだが、隣を見るとよく似た商品があり、選択肢が広がり、どれにするか迷う。
値段、質などを比較して、一番良いものを選ぼうとする。そして、最初に買おうと思ったものと全く違うものを買ったとする。
最初は、納得してこれでいいんだと思うのだが、後になればなるほど、どうして最初のにしなかったのだろうかと思うことが無いだろうか。
これは、本能と理性のミスマッチによるものだと思う。
本心とは違う選択を行うということは、内心納得していないということになる。
いかに、その選択が他者からみれば正しくても、自分からしたら嫌いで間違っていると思いがちである。
まー他の人にいいんじゃないって肯定されて、その感覚がひっくり変えることはよくあるだろうけどww
でも、それも自分の感覚を封じる理由の一つかもしれないな。

でも、なんとなく過ごしてしまうという時は、もったいないと思うので
そこは、なんとなくやりたいことを見つけるのがいいと思うな。

違和感、第6感、なんとなく、感じる、これまでの考え方の形成。



7月4日(水)16:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 語ってみよう | 管理

人生設計

ベーシックプランは
大学行って、就職して、結婚して、子供作って、子供育てて、マイホームを買い、車も買い、仕事も出世しなくても安定してて、子供を社会に送り出し、定年を迎えて、夫婦で老後を倹しく過ごし、孫を見て、あの世からのお迎えを待つ。
これは、20年くらい前のモデルかもしれない。

今は、大学に行っても就職難で働けず、就職しても不景気で給料も上がらないわりにサービス残業が多くて心を病むこともある。そうすると、結婚も難しい。相手もいない。結婚しても、子供を育てる費用はとても高い。子供にはやはり不自由なく暮らさせたい。教育費もたくさんかかる。そうしたら、家を買うどころの話では無い。妻にも働いてもらわないと家計が回らないだろう。そうして、やっと40代になったころ、今度は会社が倒産。もしくは、リストラの対象に。あれ、これからどうやって過ごそう。次の仕事も見つからない。そこそこ、出世して、それなりに50代を迎えたけれど、今度は早期退職候補。上手く定年を迎えたけれど、年金はまだ出ないし、少ないから給料は減るけど、まだ会社に残らせてもらおう。ああ、いつまでたっても老後はこないし、老後の蓄えもあまり作れなかった。豊かな老後生活はどこに行ったんだ。これまでの苦労はなんだったんだろう。
とかが、一般的かな。どうかな。

実際にそうなってはないけれど、今の人たちはこんな思考に陥りやすいんじゃないかと思う。それほどに、社会不安は高まっていると思う。すると、子供は生まれなくなる。すると、もっと高齢化が進んでしまって、本当に年金なんて雀の涙ほどになるだろう。
こうなりたくないがために、たくさん働こうと無理をしてみても、きっと体を壊すか、家庭が崩壊するだけだろう。お金はあるけれど、幸せな家庭は無くなった。
そこらじゅうに老人が溢れて、子供をとんと見掛けなくなる。
そんな未来は嫌だな。
と思うのだけれど、どうしたら、幸せな人生設計が出来るだろうか。
現代なりの人生設計にはこうした社会不安によるリスクを盛り込んだ設計図が必要である。
そうすると、保険が売れそうだ。それから、証券などの金融商品で資産運用して増やそうとするだろう。金で金を増やす思考になるのかもしれない。
または、副業でオークションをしたり、ネットショップを開いたり、アフィリエイトなどもいいかもしれない。

ただ、現代の若者はすでに最低限の生活必需品は持っているし、パソコン、デジカメ、テレビ、携帯などの少し高価な家電製品たちも持っている。めちゃくちゃすごいスペックを求めなくてもいいくらいのものがすでに溢れているのだ。それに、街では、本屋をぶらついて、カフェでお茶して、ぶらぶらするくらいで楽しめる。家でも、ネットにつないで、気になる音楽をユーチューブで見たり、ニコニコ動画を見るのもいい。逆に、動画を投稿したり、絵を書いてピクシブに投稿したらいいし、インターネットラジオで好きなこと話してもいい。家でも世界とつながれるし、誰かの反応を見たりすることも出来る。このように、お金をそんなに使わなくても、時間を過ごせるようになったのだ。だから、消費しなくても、生活に不満を抱かなくなってきていると思う。
未来が暗いからこその行動ではあるが、これがさらに未来を暗くするのに拍車をかけるのだったら、とても悲しい。
どうしても、守りの姿勢になりがちなのだが、攻めるほどの気力も無いのが現状。精一杯生きているんだよ。きっと。

世界はあまりにも急速に変わってしまった。だから、世代間のギャップはあまりにも大きい。昨日の常識は、今日の非常識かもしれない。小さな変化が大きな変化を作るのならば、少しづつ心がけることが必要なんだろうな。

新しい人生設計を考えよう。



7月3日(火)01:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 未分類 | 管理

仕事観

精神的な満足のために職に就いているような気もする
新しい製品を開発し、世に浸透させる。そして、誰もが気づかないうちに自分が作ったものを使っている。ある意味支配欲である。製品が社会を支配しているなんてね
自分が作った料理を食べてくれた人が、美味しいと言ってくれるのが嬉しい
感謝を得たいために、自分は料理を作る。これも、幸福を対価にしていると思う。
誰かを幸せにするために・・・をする。
他者にしてあげたことは自分を幸せな気持ちにしているとも考えられる。
私の演劇、歌、漫才で誰かを感動させたい。
これも、精神的幸福を得ようとしている。
そうか、他人からの感謝が一番の幸福の元なんだろうな
誰かが嫌な気持ちになるものは、自分も嫌なものだ。誰かを悲しませるのは、自分も悲しい。
けれども、どうしようもなく貧困に陥っている人もいて、他人のことなんて考えられなくて、自分も苦しい時がある。そういう人ほど、誰かに感謝されることをしたらいい。
他者に認められることは、これほどまでに大事なことだとは私は思っていなかった。
一日一善は自分を幸福にする魔法だったのだ。

物質と精神の結びつきは
きっとそうなんだろうな。

お金を得て、生活を豊かにして
そのあと、どうしていくか
仕事自体が楽しくて心が豊かなら
実は最低限のお金さえあればいいような気がする。



7月2日(月)18:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 未分類 | 管理

目的の無い満足感

国語で作文がとても苦手であったから、理系に逃げてみたけど
結局、英語と報告書に追われる日々である。
バランスはとても大事だったのに、得意分野に専念しすぎた。
けれども、語る言葉を持たないので、知っているけれど
表に表せないという悲しい状態である。
断絶されているのだ。

やはり、モノマネが一番いいのかもしれない。私は、実は真似が得意だったのだ。
書道、美術しかりマネをすることが出来た。数学しかり、数式と解き方のマネで解けた。
スポーツも誰か上手い人を見習った。そうして、技術を学んできたと思う。

幼いころはそれでよかったのだが、そうしていくと
自ら新しい発想をすることに関しては、そうとう落ちぶれていた。
想像力がとても乏しい。だから、物語なんて書けないし、新しい実験事実に関して考察も出来ない。
描写力が乏しく、会話能力に劣る。そんな人間である。

よくよく考えてみれば、なんでも興味を持って始めるものの
その少し出来るようになった
その先が何も無かったのだ
出来ることで満足していたのであった

書道は、プロである。私は習字である。字を習っていたに過ぎない。書道は、芸術の一つである。つまり、美術作品として創作されるのだ。ただ、無心に字を真似ているのとは異なり、自らがその字に思いを込めて、その情状を白紙の紙にぶつけるのだ。つまり、自己表現の何物でもない。

それは、勉学にも言える。知っているだけで満足しているのでは、その先何も作り出すことは出来ない。何のために勉強しているのかである。知識欲を満たしたいだけならば、延々とウィキペディアを見ていればよい。机上の空論とはよく言われたものだ。
そのような、現実味を帯びない知識に関して、憤りを感じていたのは自分自身であったと思う。けれど、自分自身、その先を決めかねたまま時間を過ごしてしまった。
そう、目的が無いのだ。勉強はその目的を達成するための手段でしかないのだが、肝心の目的が無い。これこそ、夢が無いという状態なんだと思う。
そして、自分の可能性を生かすことも出来ないまま、宙に漂い続けていくのではないかという不安に襲われるのであった。



7月2日(月)17:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 未分類 | 管理

まき散らす

ある作品について

事細かに描写してある解説サイトは
全く知らないものを知るにはとても役立つ

しかし、超絶ネタバレである

逆に、ふわっと思ったことをぽつぽつと書いて
物語には全く触れないとなると

そんな文章巻き散らかされても
読んでてつまらん

と思うことでしょう

そして、俺は巻き散らかす側なので


残念だな


そう思っただけ。



7月1日(日)03:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日々の事 | 管理

個人訴訟

ネットの発達とミクシィなどの普及によって
けっこうネットの中でも、個人を特定できるようになった

そして、軽々しい発言も出来なくなってきている

もともとは匿名性が高かったため
2ちゃんねるとかは誹謗中傷の巣窟であった
表には出せない感情の履きだまりみたいなところであった

けれど、価値観の変化か流行なのかよくわからんけれど
個人として全世界に顔をさらすようになっていった

顔を売るのは政治家、タレント、研究者、社長くらいだったのだが

最近ではネットで有名になったものは現実世界でも
有名になれるようになっているので

ネットで顔をさらすメリットが出てきたようだ


さてそんな気軽に自分の思いを発信できるようになった今日この頃であるが

発信してはいけないことを不意に発信してしまう人も
増えたようである

例えば、名指しで悪口を書いたり
会社の情報を漏らしたり
軽犯罪を自分で言ったりする
ことがあるそうな

このような行為は
名誉棄損
情報漏えい
犯罪
として見つけられたら罰せられます

会社とか関係なく
個人が訴えられます

自分ではそんな気がなかったのに
世界から見ると
おかしいだろうと叩かれるということですね

気軽なものだと思っていたら
びっくりするくらい困ったことになる

そんな時代になったそうです


というかその気になれば
パソコンのアクセス履歴とか見たら
すぐブログとかばれそうですね

なんだか恐ろしいものです

スマホも個人情報の塊なので気を付けたいものです。。。

恥ずかしい日記を見られるようなものです

全く知らない人ならいいけど
知ってる人には見られたくない

そんなもんなんでしょうね

そうしてネット上に自分の考えをたくさん吐く人がたくさんいるんですけど

現実世界で見えてる部分ていうのはとっても少しなんだろうなーと思いました

対外関係をやる自分と
ブログを書く自分と
趣味に没頭する自分と
色んな自分がいて色んな面で出てくる

それが人間なのかもしれない


で、ブログで批判的なコメントを書くのは
名誉棄損で訴えられるのでしょうか
感想の一つとして捉えられるのでしょうか
気になるところです。

個人攻撃じゃなかったらいいのかな。。。

でも、不満はたくさんあるだろうよ
どこにでもさ。



7月1日(日)03:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日々の事 | 管理

鳥取県

鳥取県は人口が一番少ない県である。
現在約58万人だという
これは、世田谷区の人口よりも少ないそうだ
あれだけの土地に、そんな人数がひしめいている世田谷区も世田谷区だが
ずっと、人口が少ない県をキープしている鳥取県も
すごいものだ

このあいだ、月曜から夜更かしでマツコデラックスが
鳥取・島根問題を取り上げていた
若手の人材流出に高齢化が歯止めがきかないというものだ

このままいけば、鳥取県は消滅するんじゃないかとすら思う

産業がすごく発達しているわけでもないし
娯楽施設も少ない
働き口も無くて、モノが無い
それが鳥取県である

毎年1万人以上が鳥取県を出ていく
おそらく県外に進学・就職を決めた若者であろう
しかし、逆に1万人くらいは鳥取県に入ってきているそうだ
それで、プラスマイナスでマイナスだそうだ

鳥取県に来る人はどんな人だろうか
転勤の人が多そうである
好き好んで鳥取県におのずから住もうとする人は
いないだろうなー
あとはUターンであろうか
年老いた父母の世話をしに帰ってくるとかそんな感じだろうか
そうすると、どうしても鳥取県の平均年齢は上がる
そして、年齢が高い人たちが来ても
子供は生まれないから
少子化の問題はまるで解決しない
子供を連れてくるのがいいこととも思えない

もしも、鳥取に来る人が全員県外の人であれば
きっともともと鳥取県にいた人たちと入れ替わって
気づいたら誰も鳥取県にもといた人たちではなくなるんじゃないかと思い始めた

鳥取県民は都会に憧れ出ていき
都会の人たちは田舎に憧れて鳥取に住む
そして純正の鳥取県民は消えていくのではないかと思い始めたww

限界集落が多発するのも間近かね。。。

鳥取のいいところはなんだろ
湿っぽくて、雪が多くて
魚が取れて、野菜も採れて、水も美味しくて
自然に満ちている
それだけだな
自然しかないな。。。

都会では様々なものがすごい速さで生まれているけれど
鳥取では何も生まれてこないし
生まれても広がらない
困ったものだ、、、

ブームを巻き起こすしかねーわ

と言って、知事が乗り出したのがマンガ王国鳥取である
鳥取県には水木しげるや青山剛昌といった有名な漫画家がいる
数少ないメディア的に成功した方たちを使って
マンガ的なイベントを起こして
町おこししようという考えらしい
鳥取県の各地で日時を変えて様々なイベントをやるらしい
内容的には、マニア向けのものから一般向けのものまであるようだ
そして、夏コミに参加してしまうそうだ
驚くべきことだ

このイベントは長続きするのかはたして謎だが
観光地的に盛り上げていこうとする姿勢は
なんとも涙ぐましいものである

でも、結局そういう売れた人たちは鳥取には住んでないからな
鳥取から離れることを余儀なくされるのである
なげかわしいことだ

できれば、成功して頂きたいものである


知らなかったことだが
鳥取県の子供は学力テストも体力テストも10位以内という
以外と子供のポテンシャルは高い
しかし、結局そのような子たちは
県外に行き、県外に就職する

ああ、この構図を何か打破することは出来ないだろうか
出来ないだろうな。。。


難しいものだ

でも、まぁ関東の人でも一回くらいは行ってみて欲しいと思う。



7月1日(日)02:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 未分類 | 管理

半身

部活というカテゴリがあった
今はもうやっていない
スポーツすらしなくなった

でも、運動したい気持ちは大きくある

それをできる機会を失ったとき

体の半分をもがれたような気持ちになった

今も

そうだ。



6月30日(土)22:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日々の事 | 管理

明るい未来

このブログには明るい未来が全く含まれていない
絶望と喪失と無気力の連続だ
自分自身何が楽しいのかわからないけれど
言葉に思いを乗せている

きっと言いたいことの半分もここには表わせていないだろうけど

夢とか希望とか幸福とかそういう成分が
現実にも少ないと思うし
少なくて不幸なことばかりがクローズアップされている

不幸なことや社会への不安や事故などは大きく取り上げられる割に
幸福なことや明るいニュースというのはとんと聞かない

最近、メタンハイドレードや石油、レアアースなどが
日本の海底にたくさんあるというニュースが出た
これまで散々資源に乏しい国だと言っていたのだから
これは明るいニュースだと思う

けれど、度重なる赤字国債や社会保障の増加による
財政難によって
ついに消費税を増加させる法案が通ってしまった
政治家が嘘ばかりつくから
国民はあきれ返っている

就職難、失業率の増加、不景気
経済的にうまくお金が回ってないんだろうな
景気はいつかよくなると思う

それは、実は気分の問題だと思うからだ
未来に不安を抱えたままでは
いいことは起こらないだろう
そんな結末を引き寄せているのだ
ダメだと思うとダメな結果を呼び込み
良い、大丈夫、出来ると思えば成功するのだ

今の日本は、暗い未来予測にまっしぐらである
その予測を変える
違う予想を打ち立てなければその未来を作らなければ
想像しなければ
暗い未来予測の通り
子供のいない、年寄りばかりの社会になるだろう
このままでは、まずいとみんなわかっている

けれど、打開策も見つからないし
見つけようともしない
少しずつ考え方を変えれば
そんな未来は訪れなくなるのではないだろうか


 



6月30日(土)21:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日々の事 | 管理

昔と今

とてもとても昔のことに思える私が生きてきた日々の塊
昔は何か考える度にここに記事を投稿してきたんだな
と思うとしみじみするし、昔の自分がとても面白い奴だった
ようにも思える

ま、基本的ネガティブだからそこは全く変わっていない
かもしれない
今の俺は、進路という選択肢に囚われて
全くもって今が楽しくない
進路を決めかねた結果、今も迷っている
けれど、時間は待ってくれない

気づけば人よりとても遅いペースで生きている
世界の流れに追いつけず、取り残された状態

もともとはみ出し者であったと思うし
無理に群れても虚しかった
そんな俺はマイノリティを貫きたいと思った

主張はしないけれど
同感も求めない

波風立てぬ穏やかな日々が欲しかった。

どうあがいても普通の生き方からは遠い。

まーいいか。
そんな人生で。

昔と今で色々変わったと思うけど
緩やかに変わったことで
変わったことに気づかぬまま
年月がたってから気づいた

色々諦めていたってことに。


誰かが、選択は他の選択肢を捨てることでは無く
後回しにしていることだと言った。
とてもそうだと思った。
そして、今一番やりたいことをやるのがいいと言っていた
なんだか、嬉しくなった
ありがとう。

でも、今一番やりたいことはニート状態なのかもしれな


思考がまどろんで停滞していく感じがすごい
そして、今までの悩みから解放されたような気持になる
そのあとどうするかと悩み始めるまではとても幸せ。

屑と思われても仕方ない
俺はまじめ系クズだったんだから。



6月30日(土)19:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日々の事 | 管理


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