タイトル未定
 
基本精神論的な空想メモ
 



2009年5月1日を表示

いいんだろうか

ここに書いてもいいんだろうか
といういいんだろうかもあるんですが


今の俺はこんなんでいいんだろうか



実は先週の金曜日の夜、祖母が亡くなった

突然のことで、とても驚いた
パニくった
でも実家に戻らなければならなかった

一人暮らしを始めてから最初の帰省が祖母のお葬式になった。。。

バスで実家に向かう途中俺はずっとぼーっとしていた
亡くなったと聞いた夜
俺は実家に帰る用意をしながらずっと泣いていた
朝になると少しは落ち着いたのか
もう何がなにやら分からなくなっていたのか
ただ、ぼーっとしていた

近い身内の死はコレが初めてだった

人が死ぬマンガやアニメや映画なんていつも見慣れているのに
本当に近い人が死ぬとどれだけ悲しいのかを知った

実家に帰って、布団に寝かされている祖母を見た
本当に寝ているみたいだった

帰った次の日に祖母は骨になって、壺に収められた
白いキレイな骨だった

棺に入れた時、お経を唱えてもらった時、骨を骨壷に入れた時、告別式の時、
人前で泣くものか
と思ったが涙が止まらなかった

心の汗だからと言い聞かせた

葬儀は滞り無く終わり
次の日には一人暮らしの家に帰った

帰ったその日は少し泣いたけど
次の日、クラスの奴と顔合わせた時
俺は明るく振舞った

というか全部嘘。夢。だったんじゃないかと思っている
あの出来事の時間はもう過ぎ去ってしまったのだから
俺が無かった言えば無くなる
そういう風に思っているような気がする


現実逃避なのか
実家で起こった非現実的な事は無かった
そう思いたい
と俺は強く願っている

休みの日に実家に帰ったら
いつもの場所に祖母がいて座ってて
寝転がる俺を優しそうに見てたり
お菓子くれたり
しているんじゃないかと思っている

でも、それはもう無い
思い出の中の住人になってしまったのだから

現実的に考えれば
もういつお迎えが来てもおかしくない齢だった
だからしょうがない。

それでいて母は死に目に会えたし
俺も実験がちょうど無かったし
土日だったしで
タイミング的には最高だったかもしれない
なんて空気の読める祖母だったんだ
とも思えばよい



ただ今の俺は一人暮らしでその場から離れることで
ひたすら忘れようとしている気がした
嘘だろ。ドッキリだろ。驚かせたいんだろ。
と今でも思っている

現実から目を逸らしてはいないだろうか

自分を隠して笑ってはいないか

自棄になってはいないか

そう思うと今の俺はこんなんでいいのか
と思えてくる

昔は、死のう死にたい死にたいと思ってた俺だけど
長く生きてたくさんの人に囲まれて亡くなっていけたら
どんなに幸せだろうか
とすら思えてきた

なのにその死を忘れようとするなんて
ダメだ

祖母は死んだ
これはもう変えようの無い真実
新しいスタートを切った祖母


俺は帰省したら絶対実家に行くよ
すげー優しかったばぁちゃんを思い出すからね


今の俺はぼーっとしていると思う
処理しきれない感情の暴走を食い止めるために

時が癒してくれるのを待つしかないのだろう
か。。。。。。





ご冥福を祈ります
またあの世で会いましょう。



5月1日(金)00:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日々の事 | 管理


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